JR横浜線小机駅から歩いて10分ほどのところに小高い山があり、そこが小机城のある「小机城址市民の森」です。![]() 小机城遠景 ![]() 小机城縄張り。 現在は第三京浜で城郭が分断されています。 城山を登っていくと、腰曲輪の跡がいくつか残っており、さらに空堀が巡らされていました。 ![]() 腰曲輪 ![]() 空堀。 あまり期待はしていなかったのですが、はっきりと残っています。 登城道途中の空堀には土橋が掛かっており、その先に冠木門がありました。 ![]() 土橋 ![]() 冠木門(当然ながら復元)。ここが本丸の虎口です。 本丸の周囲には空堀が巡らされており、さらに奥には二の丸の曲輪がありました。 ![]() 本丸と二の丸の間の空堀 ![]() 二の丸。 地元の人は二の丸を「本丸」と呼んでいるそうです。 二の丸は本丸の奥にあり、少し高くなっていることから、地元の人の呼び方が正しいのかも知れません。 二の丸跡には大きな土塁が築かれていましたが、櫓台もあったようです。 小机城は第三京浜により分断されており、第三京浜の向こう側には「富士仙元」という小さな曲輪がありました。 物見台とも思われるその場所からは、その名の通り富士山頂を見ることができます。 ![]() ほんの少しでしたが、雪に覆われた白い富士山頂が顔を出していました。 〜城跡データ〜 【所在地】神奈川県横浜市港北区小机町 【築城年】不明 【築城主】不明(山内上杉氏?) 【主な城主】北条氏 小机城の築城年代は明らかになっていませんが、この辺りが開拓された12世紀以降だといわれています。 1478年に山内上杉家の家臣である長尾景春が反乱を起こした時、長尾景春方の矢野兵庫助がこの城に立てこもりました。 この時は、太田道灌に石神井城を攻め落とされた豊嶋泰経も、小机城に逃げ込んでいます。 太田道灌は反乱軍を鎮圧しますが、その時に太田道灌が小机城攻めの時に詠んだ歌が残っています。 小机は まず手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりとなる 歌道に精通し、歌道の功績を数々残した太田道灌ですが、この歌はどうでしょうか。 傑作なのか駄作なのか、いまだによくわかりません。 その後は北条氏の拠点となり、「小机衆」と呼ばれる軍団も編成されていました。 現在残っている遺構も、北条氏時代に築かれたものかも知れません。 |
| << 前記事(2009/01/06) | トップへ | 後記事(2009/01/08)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2009/01/06) | トップへ | 後記事(2009/01/08)>> |