栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)、正式には「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺」と言い、大日如来を本尊とする真言宗大日派の本山です。![]() 鑁阿寺は足利氏の氏寺でもあり、鑁阿寺が建立される前は、足利氏の居館が置かれていました。 (財)日本城郭協会も、「足利氏館」として「日本100名城」に選定しています。 鑁阿寺の周囲は方形の堀と土塁で囲まれており、鎌倉武士の居館の名残がありました。 ![]() 境内には、数々の建物が現存しています。 ![]() 正面の仁王門 ![]() 本堂(重要文化財) 足利氏第2代である足利義兼の創建と言われ、1592年に再修されたものです。 ![]() 経堂(重要文化財) 前述の足利義兼が妻の供養の為に創建したと言われ、1407年に関東管領足利満兼によって再建されました。 その他にも古くからの建物や門が数々現存しています。 ![]() 多宝塔 ![]() 御霊屋(赤御堂) ![]() 大酉堂 ![]() 校倉 ![]() 東門 ![]() 北門 ![]() 西門 これだけ多くの現存建築物が残っているとは思っておらず、ただ圧倒されるばかりでした。 〜城跡データ〜 【所在地】栃木県足利市家富町 【築城主】足利氏館:源義康(足利氏初代)、鑁阿寺:足利義兼(足利氏2代) 【築城年】足利氏館:12世紀半ば、鑁阿寺:1196年 【遺構】堀、門、本堂など 【その他】日本100名城 【近隣史跡】足利学校(鑁阿寺の隣) 足利氏初代の源義康(足利義康)は、八幡太郎源義家の孫です。 足利義康の父である源義国(義家の子)は、足利氏と新田氏の祖となりました。 吉川英治著「私本太平記」の中で、源義国は「七代の孫、かならず天下をとり、時の悪政を正し、また大いに家名をかがやかさん」と置文しました。 その七代の孫に当たる足利家時は、それを「三代の後の子に託す」と遺言を残して自刃します。 足利家時の三代の後の子こそが、足利尊氏であります。 足利尊氏は先祖の置文と祖父足利家時の遺言を、この鑁阿寺で目にしました。 やがて足利尊氏は、置文の予言や遺言通りに天下をとり、室町幕府を設立しています。 |
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