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help リーダーに追加 RSS 新田金山城(群馬・太田)

<<   作成日時 : 2008/12/14 06:15   >>

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何かと「愚将」の烙印がついてまわる新田義貞ですが、同時代に足利尊氏や楠木正成がいたことを思えば、それも仕方のないことかと思います。
金山城新田義貞像.JPG
太田駅前にある新田義貞像。


その新田義貞が本拠地としたのが群馬県太田市、宿敵足利氏の本拠地である栃木県足利市とは、渡良瀬川を隔てて隣接しています。

太田駅の北方に金山城跡があり、新田義貞を祀った新田神社も金山城跡に建てられています。
金山の要害を利用して、曲輪を幾重にも張り巡らせた堅固な造りでした。
金山城立体図.JPG
金山城の立体復元図

同じ群馬県には関東管領上杉氏の詰城であった「金山城」があり、あちらを「平井金山城」、こちらを「新田金山城」とも呼んで区別することもあります。

新田金山城の登城道はきれいに整備されており、堀切などの遺構なども復元整備されていました。

金山城跡碑.JPG
登城道入口にある金山城跡碑

金山城旧道路.JPG
復元された旧登城道

金山城西矢倉台西堀切.JPG
西矢倉台西側の堀切


さらに馬場曲輪と馬場曲輪下の建物跡が復元されていました。
金山城馬場下道路.JPG
馬場曲輪の虎口

金山城馬場下建物跡.JPG
馬場曲輪下の通路と建物跡

そしてこちらが馬場曲輪です。
金山城馬場曲輪.JPG
馬場曲輪


馬場曲輪の先には大堀切があり、大手虎口が復元されていました。
金山城大堀切.JPG
大堀切


新田金山城は関東の戦国山城では珍しい総石垣造りです。
石垣が当時からあったかどうかはわかりませんが、かなり疑わしいと思います。

金山城大手虎口.JPG
大手虎口跡。

金山城大手虎口2.JPG
ここまで石垣が積んであるとはかなり怪しいものですが、やはり当時は土塁だったようです。


大手虎口の先には、建物や「日ノ池」が復元されていました。
金山城大手建物.JPG
復元された建物
模擬天守を建てなかっただけ、まだ良識がありそうです。

金山城日ノ池.JPG
復元された「日ノ池」。
神事に使われたそうです。

その上の本丸には、新田義貞を祀る新田神社がありました。
金山城新田神社本殿.JPG
新田神社本殿。
神社には新田源氏の家系図を書いた看板もありました。


また物見台や本丸からは、一面に眺望が広がっていました。
金山城物見台南側.JPG
南側の東京方面


〜城跡データ〜
【所在地】群馬県太田市金山町
【築城主】岩松家純
【築城年】1469年
【主な城主】由良(横瀬)氏
【遺構】曲輪、土塁、堀切、石垣など
【その他】日本100名城、関東7名城



新田金山城は新田義貞が築城したと言われていますが、実は当時の遺構は発見されていません。
したがって確証はなく、関東管領上杉氏に従っていた岩松家純が、1469年に築城したとされています。

「新田義貞は愚将でも、城は立派だな〜」などと思っていたのですが、どうやら違っていたようです。

1528年には、岩松氏の重臣であった横瀬(由良)成繁が岩松氏を倒し、金山城の城主となっています。

戦国時代になると、他の北関東の武将と同様に、由良氏も上杉氏(越後)と後北条氏(相模小田原)の争いに巻き込まれて行きました。
由良氏は上杉氏についたり、後北条氏についたりしていましたが、1584年に由良国繁が小田原で北条氏に幽閉され、金山城も後北条氏の支配下となりました。

そして1590年に豊臣秀吉の小田原攻めによって北条氏が滅亡すると、これまた他の北関東の城と同様、金山城も廃城となっています。


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