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help リーダーに追加 RSS 備中高松城(岡山)

<<   作成日時 : 2008/11/09 06:26   >>

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羽柴秀吉の「中国大返し」、秀吉が天下を掴むきっかけとなったのが、この備中高松城でした。

そして忘れてならないのが、その舞台の中で鮮やかに散っていった高松城主清水宗治であります。
いつかは来てみたいと思っていましたが、実際に来てみると感慨深いものがあります。

現在は本丸・二の丸などの曲輪の跡が、公園として整備されています。
この日は岡山空港に着いた時からすでに雪が降っており、高松城もうっすらと雪に覆われていました。

高松城二の丸.jpg
高松城二の丸

そして本丸には自刃した城主、清水宗治の首塚がありました。
高松城清水宗治首塚.jpg


〜城跡データ〜
【所在地】岡山県岡山市高松
【築城年】不明
【築城主】石川氏
【主な城主】清水宗治
【遺構】曲輪、堤防
2008年2月訪問


天下統一を目指す織田信長は、中国の毛利氏への侵攻を開始、その先鋒が羽柴秀吉でありました。

秀吉は1582年に毛利氏方の高松城を包囲し、そこでとられた戦法が水攻めです。
高松城周囲に全長2.6kmの堤防を築き、足守川の水を引き込んだため、高松城は浮き島のようだったそうです。


高松城に籠城していたのは、城主清水宗治以下将兵・領民5,000人でありました。
清水宗治は領民の籠城を断ったのですが、清水宗治の善政を慕う領民たちは、自ら籠城を申し出たそうです。

1ヶ月に及ぶ籠城戦で勝敗が膠着する中、織田信長が本能寺の変で自刃したと知らせが飛び込んできました。
それを受取った秀吉は、信長の死を秘したまま毛利氏との講和を持ちかけます。

毛利方の交渉人は安国寺恵瓊、籠城する将兵・領民の命と引き換えに、城主清水宗治が切腹することで講和は成立しました。
そして羽柴・毛利両軍5万人が見守る中、清水宗治は見事に切腹して果てています。

旧三の丸付近には、その清水宗治の自刃した場所があります。
高松城清水宗治自刃の地.jpg
清水宗治が自刃したのは、水に浮かんだ船の上でした。
この辺りまで水に浸かっていたのでしょうか。

清水宗治の辞世の句があります。
「浮世をば 今こそ渡れ もののふ(武士)の 名を高松の 苔に残して」

高松城の沼を復元した際、当時の蓮が芽を吹いたそうです。
その蓮は「宗治蓮」と呼ばれ、今も高松城で歴史を語り継いでいます。
高松城宗治蓮.jpg
清水宗治の名は、高松城や蓮と共に今もしっかりと残っていました。


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