横須賀にある「三笠記念公園」、日露戦争の旗艦「三笠」が記念艦として保存されています。![]() 公園内にある東郷平八郎元帥(連合艦隊司令長官)の像。 ![]() 今回初めて三笠の艦内に入って行きました。 ![]() メインマストには、今も「Z旗」が風になびいています。 ![]() 艦内から見たファンネル(煙突)。 そしていよいよ、ブリッジへ。 ![]() 東郷元帥が指揮を執った三笠のブリッジ。 当時世界最強と言われたロシア太平洋艦隊(バルチック艦隊)に対してとられた敵前回頭は、「トウゴウ・ターン」として世界中に知れ渡ることとなりました。 ![]() ブリッジから見た艦首部分。「本日天気晴朗なれども波高し」 艦内の下部デッキに降りて行くと、当時の士官室などが復元されていました。 ![]() 長官公室。 司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公で、名参謀と賞賛された秋山真之中佐(当時)も、ここで東郷元帥と作戦の打ち合わせをしていたのでしょうか。 日露戦争の日本海海戦で活躍した「三笠」ですが、1925年に保存艦として現在の位置に固定されました。 そして太平洋戦争が終結すると、三笠も連合軍に接収されましたが、艦内の目ぼしいものは持ち去られ、荒れるに任せた状態であったそうです。 さらには三笠が民間会社に払い下げられると、艦内で「キャバレー・トウゴウ」が営業されるという有様でした。 この三笠の惨状を嘆いて立ち上がったのは、なんとチェスター・ニミッツ元帥でした。(旧帝国海軍の関係者の中には、この名前を聞きたくない方もいるかと思いますが・・・) アメリカ海軍太平洋艦隊の司令長官や、連合軍の中部太平洋方面の最高司令官を歴任し、太平洋の制海権を日本から奪い返したのが、このチェスター・ニミッツ提督で、現在もアメリカ海軍の空母にその名前が残っています。 (私は映画「ファイナル・カウントダウン」で空母「ニミッツ」のことを知りました) ニミッツ提督がまだ士官候補生だった頃、東郷平八郎と会話を交わしたことがあるそうです。 東郷元帥とは10分程度の会話だったそうですが、東郷元帥の流暢な英語と人柄に触れ、東郷元帥を尊敬すると共に、日本海軍の研究を始めたそうです。 太平洋戦争終結後に東郷元帥の「三笠」を訪れたニミッツ提督は、その荒廃した惨状に激怒し、これ以上三笠の資材が持ち去られないよう、アメリカ海兵隊員を三笠に立たせて厳重に警備させました。 さらに「三笠と私」という題名で日本の雑誌に寄稿し、三笠保存を呼びかけると共に、著書の原稿料などを三笠保存のために寄付しています。 また廃艦となったアメリカ海軍の軍艦をスクラップにして、その売却代金も三笠保存のために寄付したそうです。 ニミッツ提督の呼びかけで三笠保存の機運が高まり、1961年5月27日(日本海海戦の日)、三笠の復元が完了して記念式典が挙行されました。 その記念式典に寄せられたニミッツ提督のメッセージが三笠の艦内に展示されています。 「東郷元帥のこの有名な旗艦三笠の復元に協力された、全ての国を愛する日本人の皆様に・・・ 元帥を深く愛する弟子の一人、 アメリカ海軍元帥 C.W.ニミッツより」 日本海海戦で日本の危機を救ったのが東郷平八郎と三笠ならば、三笠の危機を救ったのがニミッツ提督でした。 〜史跡データ〜 【所在地】神奈川県横須賀市稲岡町 【関連記事】日本海海戦 |
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